衣食足りて礼節を知る

みなさん、いかがお過ごしですか。こんにちは、こんばんは、私です。いかがお過ごしなんですかねぇ皆さん。うかうかしてたら年が明けていました。その意味の割に愉快な、あるいは人を苛立たせるような響きですね「うかうか」。でもうかうかしていたら年が明けていたんです。2023年、SMAPが活動していれば「あの頃の未来に立っています」と言いかねない年、2023年。2000年を迎えてから23年だそうです、怖いね。元気してますか。元気で居てくださいよ、ほんとうに。

今宵は酒をかっくらいましてこの時、久しぶりの飲酒にニコニコしているところです。今日は産業カウンセラーの資格試験(筆記)を受けてきました。何歳になっても試験とは嫌なもんですね。なーにをそんな、この年齢になって他人から試されることがあろうか。嫌だけど「専門性の担保」という意味で致し方なく受け入れている次第です。真面目。特に落ちはないのですけど、つぎに会う時までみんなお元気でいらしてね。そうして会ったら、また次の約束をしような。

時刻表

いつだったか、スポーツ飲料のCMで「大人でいる時間は長い」といったようなことを言ってたことがあった。これって本当にマジでそうで、大人になってからの方が人生は長い。そんなことちょっと考えれば分かりそうだけど若い当時は気が付かないようで、私自身も高校生や大学生、大学院生時代なんかは、その時期が永遠に続くような気がしていたものでした。もっと早く誰かに教えてほしかった。

学生だった頃、独身だった頃、子供が小さかった頃…と、年を取ってライフステージが変わっていく度に、過去の楽しかったことやもう戻らない時間を振り返ることがあるんだろうな、と思う。不可逆だからこそ懐かしかったり恋しかったりして、たまらなくなることもあるんだろう。と言うか、今そうなっている。毎日たのしく過ごしていた大学時代の友達と関西で数年ぶりに会って、ご飯を食べて、いま住む土地に帰ってきて、お祭りが終わったあとのような楽しさの余韻となんとも言えない寂しさがじんわりと来ている。やーん!

10年ちかく前、大学院を卒業しようかという頃だったか、「これから自分だけの砂金みたいなものを、どれだけ見つけられるだろうか」と思ったことがある。授業とかテストとか部活とか、そういう“時間の流れ”・”目標への推進”みたいなものに関する分かりやすい目印がなくなり、これから自分の力で人生を組み立てていくのかと茫然と怖がっていた。この間まで酒飲んで麻雀してにこにこパッパラ生きていた学生に対して何を言うのか。酷である。もしかして、皆さんそんなパッパラと生きていなかったですか?私が知らないところでメチャクチャちゃんと準備してました?大人になるためのやつの。

で、実際いまも感覚としては大人みたいなものにはなっていないのである。傍目にはそう見えない場面もあるかもしれないけど、ずーーーーっと学生時代の延長戦みたいな感じできている。33歳。落ち着いてほしい本当に。酒を飲みながら夜中にブログを更新するのをやめろ。明日は月曜日だぞ。ブログに関しては中学生の頃から続けていて本当に怖い。我ながら気持ちが悪い。はよ寝ろ。

話は冒頭に戻るけど、大人の時間って本当に長い。当然ながら今日の自分がこれからの人生の中で一番若いので、何と言うかエグい。待ったなしすぎる。怖すぎんか。大きなことはできないから、例えばまた夏に友達と会おうとか、週末にとっておきの酒を飲もうとか、そういうささいな、そして大事なことを大事にしていけると良いなと思う。日々のきらめきみたいなものを取りこぼさずに行きたい。何らかのでかいイベントは勝手に向こうからやってくるんだから、いま見えているものくらい大事にできると良いのだけど、と思う。

「働く」ということ

世の中の主婦たちの愚痴を煮詰めて抽出したとして、その要素に「社会生活を営む上での夫と妻の家庭労働の不均衡」が絶対にある。と思う。あってくれ。

これはマジで、夫と妻のどっちが偉いとかすごいとかいう話ではない。それは大前提と言うか、社会で働いている者もお家を守っている者も、どちらも最強に偉くて優勝しているのは間違いない。大優勝である。大優勝ではあるんだけど、ちょっとだけ聞いてほしい。と言うのはね、お家にいる者の家事育児めちゃくちゃ大変ってこと。もったいぶったけども、結局そこです。ここで抵抗感あるようなら以下の文章は読まないように。きっと蕁麻疹でるよ。

私事で恐縮なんですが、うちの夫は平日の帰宅が遅い。早くて22時くらいかな?遅いと日付は余裕で超える。もちろんもっと遅い家庭なんてゴロゴロあるだろうけど、一般的には遅い方じゃないかと思う。んで、そうなるとどうなるかと言うと、お子の命を支えるのは妻の側でワンオペ、つまり私になる。平日はね。休日は死ぬほど子供と遊んでくれるしご飯も作ってくれる最強の夫なので、不満は一応ない。あったとしても自分の中で消化できるレベルで、その付け火みたいなものを最小に抑えられてるのは彼の努力以外にない。早い話が、彼は夫として父として、その役割を私にはもったいないくらいに果たしてくれているということ。

だけど、我々のこの小さい宇宙からしても分かるように、やっぱり日々の家事育児は女性にゆだねられていることが多いんじゃないかなぁと思う。そんなこと世界中の人に100億回くらい言われているだろうけど、特に理屈の通じないちびっこを育てている奥様は、待ったなしの毎瞬に忙殺されていることでしょう。本当に全員に花束をあげたい。花束をあげた上で3泊4日の沖縄旅行をプレゼントしたい。酒飲んできてくれ酒。

んでね、やっぱり人に言えないご苦労も多かろうと思う。日記やツイッターにさえ書けない、暗くて澱んだ愚痴のこと。だって子供と二人だけ(あるいはもっとvs自分)の時間の、本当にどうしようもない瞬間って、子供と自分以外の誰も知らない。子どもとの時間でイライラしたこと、怒鳴りたくなる気持ちを抑えて深呼吸を繰り返したこと、それでも怒鳴ってしまって自己嫌悪で消えたくなる瞬間、子供を寝かしつけてから泣く時間。きっと誰もにあると思う。こんな日もあるさと割り切れればいいけれど、生理前なんかに重なるともう最悪だよね。どうしようもない。かたや、夫が育児を頑張ればイクメンだなんだ、良い夫を持ったともてはやされたりして。

念のために再度言うけど、私は夫にめちゃくちゃ感謝してるし、上記のことが全てあてはまる訳でもない。でも、心理士として相談を受けていると本当につらそうな奥さん(決まって奥さん)の話を耳にすることも多い。社会の風潮や制度の良くない部分が夫と妻のあり方を規定してしまっている側面はあったとしても、でも「あんまりだよ」と言いたくなることがある。もちろん、男性より女性の方が誰かに相談する傾向にあるという要素はあるのかもしれないけど、そんなもんは知らん。偉い人に言うのが良いと思うよ。

子供がいなかったとしても、洗濯や料理や掃除や、その他のことを女性が担っている場合はやっぱり多いのではなかろうか。共働きの場合でも。率直に言うけど、性差的なものは確実に存在すると思う。夫が脱ぎ散らかした靴下を妻が拾う方が、その逆より多いと思うよ。どうよ。そのあたり。

特に落ちはないです。何かあるとすれば、めちゃくちゃ良い電化製品を買って出来るだけラクしましょう。夫と妻で話し合って、お互いの負担をどうするか話しましょう。それも難しい時は、どうしたらいいんだろうね。分からないけど。お互いが元気に過ごせる方法を何とか編み出すしかない。待ったなしの世界だって、生きていくしかないんだもの。

「心理士」という肩書や自分の生き方、考え方について

これはもう常々というか、結構ずっと思ってきたことなんだけれど、私は「勉強してきたフリ」がめちゃくちゃ上手い。上手いというか、語弊がある表現だとは重々承知だけど、学歴とか持っている資格などなどで「勉強してきた人っぽい」感じがある。もちろんそれなりに「努力」してきた故のことではあるものの、周りにいる人に比べたら専門知識も現場での経験も圧倒的にないので、何と言うか、人から期待や予想されるよりもはるかに無能なのであるのよ。あるのよ。つら。

で、何となくそんな感じで来たものだから、日々の仕事とか超つまずく。絶対もっと勉強するべき、と思う。思うんだけど、仕事や育児を理由に勉強しない。ひどい。文字にすると余計にひどいなこれは。周りの人はみんなどうしてるの?勉強を。セミナーに出たり本を読んだりとかしてるの?でも仕事して帰った後、酒のみたくない?え?飲みたくない?本気で言ってる????

繰り返しになるけれど、人にはよくやってる、よく勉強してると言われることがそれなりにある、それなりにね。数える程度にね。でも、その実、全然である。ワハハ。わろてる場合ちゃうでホンマに。知識や経験に裏打ちがないの、よくない。興味や関心が高いだけではどうしようもないこと、ある。関わらせてもらった人からお礼を言われることがあっても、それは相性や感覚で結果的に良い方へ流れただけで、それを恒常化できないとダメじゃん、と思う。でもさ、人の考え方や、大げさに言えば人生を自分ごときの関わりでどうにかできると思っているのも良くないよね。それはある種の幻想や万能感に近いとも思うのよ。自分ごときが誰かの人生を、ある意味で“操作”できるわけないし、してはいけない。できると思うのは余りにも支配的すぎない?傲慢よ。考えすぎでしょうか。クダを巻いてる感じになってきたので、この考え方の話題はここまで。

んで、唯一、自己肯定感を保障するこれまでの生き方として、関わってきたクライエントさんに対して手を抜いたことは多分ない。多分よ。もしかすると知らないうちにあるのかもしれないけど、少なくとも意識に上っている範疇の中ではない。セッションの中で怒鳴られたりして怒られたことはあったけど、“もう、これでいいや”的に手を抜いたことは、たぶんないと思う。こんなこと学部生にとってだって当然のことだけど、唯一そこだけが何とか今日の自分を支えている。勉強不足も経験不足も絶対にあるけどな!アッハッハ。わろてる場合ちゃうでホンマに。

これはね、本当に自己満足でしかない。関わらせてもらった子供たちや大人の方々にとって、私との時間が有益だったとはマジで全然言い切れない。だから本当に勉強しないと。勉強して、ちゃんとして自分。頑張って。いま働いている職場の特徴から、また新しい資格に挑戦しようとしているけど、マジでよく勉強して。そして経験を積んでくれ。そういう「祈り」についての日記でありました。酔っぱらいです。

父が亡くなった時のこと、母の迷いについて。

父が亡くなったときのことについて、ほろ酔いだけれども思うことがあったので少し書き留めておきたい。

 

あれは7年ほど前になるけれども、父が亡くなった時、正確には亡くなる3,4日前まで、私たち子どもは「具合が悪くて入院している」ということ以外は、父の正確な病状についてほとんと何も知らなかった。子どもらに自分の状態について詳しく知らせたくないというのは父の意向だったそうで、出来るだけ私たちが自分の生活を普段通り送れるように…ということだったらしい。けれどきっと恐らくは、自分が弱っているところを子どもらに知らせたくなかった・知られたくなかった、というある意味では父の“わがまま”だったのだろう。母は父の意向に沿って、私たちに詳しいことを話すことはなかった。ただ一番上の私にだけは病名を告げて、それなりに深刻な状況であるとだけ教えられていた。

 

何だかやばいらしい、と教えられたのは先述の通り父が亡くなる3,4日ほど前で、母は当時実家から離れた場所に住む私と妹に「少しお父さんに顔見せに帰っておいで」とだけ言った。それを聞いた私と妹は、よしそれなら帰ろうと二人で予定を合わせて翌日に発って帰省するための新幹線のチケットを手配した。それで予定通りその新幹線に乗って二人で実家に戻ったわけだけど、結局父の死に目には間に合わなかった。もしかすると少しでも早い時間のチケットを取るべきだったのかもしれないけど、そんなのはもうどうしようもないことだ。

 

母は今でも、時折この時のことについて「あれでよかったのだろうか」と話してくる。実際、妹は「もっと早く教えて欲しかった、父に会いたかった」と言うようだ。だけど私としては、あれはあれでよかったのだとある種の確信に近い実感がある。それは父の死の瞬間に立ち会う勇気がないということも一つだけれど、一番は子供に対してカッコつけたいという父の最期の望みを果たすこともまた大切だったようにも思えるから。子どもには自分たちの生活を大切にしてほしい、という父の気持ちも理解できる気がする。しかしながらその一方で、父の深刻な病状と子どもとの間に挟まれた母の気持ちは察するに余りあるというか、とにかく難しくてしんどかったことだろうなと思う(だからこそ、今でも迷うのだろう)。自分が当時の母と同じ“親”という立場に立ってみて、尚のことその困難さが理解できるようにも感じている。

 

でも、これはいつか母に伝えられたらと思うけれど、母にはその時の決断を後悔して欲しくないし、今になって迷わなくてもいい。当時のことは誰にもどうにもできないことだった。父はいなくなろうとしていたし、それを止める術はなかった。だからこそ、二人が最期の時間に下した決断に言うことはない。本当にない。最良の選択だったと思う。父と母は今になって迷うことも後悔することもしなくていいし、もし自責の念を感じているならば、そんなものは何処かにぶん投げてほしい。二人が決めたことを、子どもである自分も尊重して大切にしたいと思う。

 

今までずっと思っていたことだったけれど、明確に言語化するのは今この時、この場所が初めてである。思っていた以上に長くなったけれど、自分に一切の迷いがないことに少し驚いてもいる。いつか父とまた会えたら、“また母に心配かけて!”と少しくらい小言をちくちくしても良いだろうと思っている。父が亡くなった時に咲いていた花であるアジサイ花言葉は「辛抱強い愛」。それはどちらかと言えば母が父に対して持っていたものだったろうと思うけれど、そこんとこどうなのよお父さん。

呪い

今から数年前、しばらくの間ドイツに住んでいたんだけど、こういうご時世になると余計に「あれは夢だったのか…?」と思えてくる。住んでいた当時は毎日を過ごすことに精一杯であんまり余裕もなかったけど、帰国して数年経つと「あれはあれで、良い時間だったな…」などと思えてくる。でもね、これは住んでた当時に思っていたことなんだけど、「帰国していくらか時間が経てば、きっと私は記憶を美化して、良い国だったなぁとかまた住みたいなぁとか思うだろう。でもそれは絶対に記憶を歪めている部分があるから信用してはいけない」といったことが頭のすみにあったので、いま感じていることは全て数年前に予測済み、まんまとそのルートに入ったにすぎない、ということなんですね。自分で自分に呪いをかけている感は否めないけれど、1年か2年くらいだったら海外に住んでも良いな。と思っている。

虎になる・2

中学生のころからブログを書いているので、下手をすると20年くらいインターネットの海に無価値な文章を放流している計算になります。酔っぱらったついでに昔の記事を読み返していたんだけど、エッモエモでした。死ぬかと思ったぜ。でも、当時の一生懸命な感じを残しておきたくて(そして時折、確認したくて)、記事は消さずに置いておきました。エッモエモやでしかし。

 

「虎になる」、好きな慣用句である。

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