フォトグラフ

雨の降る直前というか冬が終わる頃合いと言うか、とにかく空気が湿度を持った匂いのするようになった今日この頃、みなさまはどのようにお過ごしですか。私は変わらず酒を飲みながら、襲い来るいつもの平日をえいやえいやと何とかやっつけています。あいつらマジで遠慮なしにやってくるからな、本当にひいひい言っています。

つい最近、というか昨日、好きだったバンドが活動休止してしまった。「好きだった」とスッと書いちゃうことにビックリしてるけども、でも本当にそうらしい。ラストライブは東京、こういう時あぁーなんで私は東京に住んでないんだーーとおもう。あぁー。とにかく好きなバンドが活動を終えてしまった(活動「休止」だけど、きっともうそういうことなんだろうと思ってしまう。いつだって戻って来てほしいけど、でもいつまでも待てるわけでもなく)。

昨日の私と言えば、夫と子どもが二人でおでかけしてくれると言うので、家で一人、びっくりするくらい何もしていなかった。そのバンドが昨日で活動休止するという告知を目にしていたにも関わらず、すっかり忘れて日常を過ごしていた。今朝目が覚めて、インスタをフォローしているメンバーの人が昨夜のライブの様子をストーリーにあげていてハッと思い出した。ああそうだ、そうだった、このバンド昨日で活動休止しちゃうんだった。「げぇ、嫌だ」と思ったけど、もう後の祭りです。どうしようもない。全編見れば数十分かかるであろうストーリーを布団の中で見ながら泣いた(そして全部見た)。この人たち、もう、少なくともしばらくは音楽を引っ提げて私たちの前に出てきてくれなくなったんだ。

見に行けばよかった。家の掃除なんかしてないで、新幹線に乗って、若い人たちに埋もれて「場違いでは…」と不安になってでも、ライブを見に行けばよかった。だって画面越しに見ているこの人たちは、もう金輪際見られなくなるかもしれないのに。私が彼らを知ってから2度、私の住んでいる地域に来ることがあった。その時は子どものこととか、あと「若い人たちしか居ないだろうし…」という気持ちからライブに足を運ばなかったけど、なんでずっと音楽をやってくれるとおもってたんだろう。行けばよかったよ。行けば、よかった。

とてつもなく寂しい。透明感のある爆音を響かせてくれる彼らの音楽を、全身で浴びたかった。もう本当に、ほんとうに遅い。どうしようもない。そんなことは分かっている。でもライブに行けなかった自分も本当なんだ、そういうの無視すればいいじゃん!という訳にはいかない理由があった。何故って「現実」はいつだって目の前にある。あるだろうよ誰にだって。でも後悔している。ライブに行けばよかったよ。いせの帰ってきてくれるよな。頼むよ本当に、お願いだよ。年齢も時空も超えて、あなたの音楽に惹かれたんだよ。頼む。

何が言いたいかというと、推しは推せるときに推せ、ということ。月並みだけど本当にそうなんだと思う、思った。それはエンタメだけじゃない、友達でも家族でも、その時その場にいないと見られない景色ってある。見逃すなよ。本当に。JIGDRESSを聴きながら書きました。

空気を吸い込むこと

12月も10日を迎え、いよいよ街が年末モードに切り替わってきましたね。毎年、年末が来るたび「時間すぎるのはえーーー」と思っている。年末だけに限らず、夏には「こんなに暑かったっけ」と思い、秋には「まだまだ暑いけど本当に冬なんか来るんか」と思い、冬には「こんなに寒かったっけ…」と思っている。そうして春がきては同じことを繰り返している気がする。コロコロスタンプじゃねぇか。

さて最近のことについて。ありがたいことに今の職場は大好きなんだけれども、ちょっと「お?」と思う求人があったので面接を受けてきた。大雑把に言えば大学のカウンセラーみたいなもんなんだけど、その大学から滅多に求人が出ないことや条件も悪くないこともあって、いっちょ受けてみますか…という気持ちになり応募書類を作った。

普段は人の応募書類を見て「これはこうしましょう、ここはこう書いた方が良いですね」などと偉そうに知った口を利く立場に置いてもらっているのだけれど、いざ自分で書類を作るとなると結構茫然としてしまった。な、なにから書いたらいいですかね……と真っ白なワードのページを見て思った。一度書き始めるとそれらしい言葉を適当につなげることはできるのだけど、なんかこう…なんかこう魂こもってねぇよなぁ!!!と思わずには居られない仕上がりだった。自分でも「これは弱いわ…」と思う職務経歴書を前に、一旦飲酒するなどした。

それで、めちゃくちゃ尊敬しているおばあちゃんキャリアコンサルタントさんに泣きついた。今の職場で一緒だった人で、家庭の事情で仕事はお辞めになってしまったけれど「ちょっと行ってくるわね」と言って新幹線で気になる学会に出かけたりするような人だ。その大先輩に事情を話して、恥ずかしい気持ちで自分の書類に目を通していただきたい旨を伝えると「気の利いたことは言えないけれど、思ったことは言えるかもしれないからまずは見せてください♪」と快く話を受けてくださった。アアアアと思いながら書類を送ったんだけど、その返信内容のしびれること。ああそうか、プロはこうやって書類を「見て」いるのだと心底思って、またアアアアとなった。自分だって人の書類を見させてもらう時は誠心誠意やってるつもりだけど、なんというか「経験値」の差があまりに鮮やかに浮き彫りになっているように思って、うあーと身の引き締まる思いがした。こうだよな、"こう”ならないとなって。

立場が人を規定する場面はたくさんあって、いま私は「就労支援の人」として毎日働いている訳だけれど、立場にあぐらをかいて求職者のひとに偉そうなことを言うことだけはしたくないと常々感じながら仕事をしてきた。ともすると「上下関係」になりがちな今の職場の性質を、絶対に忘れちゃいけないと思ってやってきた。んだけど、時折ふと気が緩んでしまいそうになることがある。見るからに「こ、これは受からんで…」と感じる書類や言動を前にして、自分に何ができるかを問うこともある。だからこそ、芯や矜持を忘れない自分でありたいと思った。それはいかに仕事や目の前に人に真摯に向き合ってきたか、新しいことを知るための労力を惜しまなかったか、立場にかまけずに自分をアップデートしてきたか、なにかそういうことに依るものがあるのじゃないかと感じた。

面接の結果についてだけれど、ついこの間「次点とさせてください」との連絡がきた。自分の経験値や面接の手ごたえ的にはかなり納得できる返答で、さすが~~~~と思った。6人の面接官を相手に自分なりにやれることはやれたと思える面接だったので特に悔いはないのだけど、まあできれば受かりたい。でも受からなくても別にいい。強がりではなく、マジでそう思っている。コロコロスタンプの毎日にもそれなりに満足しているし、いつかきっとまたお鉢がまわってくる場面もあるだろう。その時の為に、今後の自分も、できるだけのことを「したい」と思える自分であってくれるといいな。

湿度とコンクリート

楽しかった、と子が笑う。お盆期間のこの少ない休みに、夫と自分のどちらの実家にも帰省しないことにした我々は、家族だけで隣県に旅行に行った。湖で泳いで、夜は焼肉を食べて、めずらしく夫婦ふたりともお酒を飲んで、良い気持ちでそのあたりを散歩した。8月の最中だというのに夜風は肌に涼しくさらりとしていて、遠くには打ち上げ花火の音が響いていた。

知らない土地に行くのは良い。観光地のラグジュアリーなホテルも素敵なのだろうけれど、中心街からちょっと外れにあるそこそこのホテルに泊まるのが良い。その土地に住む人々の生活がちょっとだけ垣間見れるようなところ。今ではもう見かけなくなったようなフォントで書かれた色褪せた看板や、つぶれてしまった公衆浴場、いつから貼ってあるのか分からないポスター、そういうのを見つけられる街に泊まるのが良い。ただぽっと今日来ただけなのに、なんだかどこかで見たことがあるような、ずっと知っていたもののような、そういうものを眺めながら散歩をするのはすごく楽しい。

なんでもないものを見つけてはお互いにほら見てと報告し合い、少し先を走る子どもをこらこら転ぶぞといさめながら歩く。そういう、何と言うか「近い距離」にいる自分たちを確認する時間が、すごく心地よかった。こういう風景を確かめ合うために生きているのかもしれないと思った。

「いい思い出になりました」と大人びた口調で子供が言う。ママもだよ、と返しながら、ぎゅっと胸の奥が熱くなった。

言語化

少し前に、とあるタレントが女性芸人のツイートに信じられない暴言を吐いて話題になったことがあった。その「事件」は数多の話題に埋もれてしまってもう誰も触れなくなったから、ほんとにあった???ってちょっと不安になるけど、たぶんあった。タレントはすぐに謝罪の文面をSNSに出したけど、もう後の祭りだったと言うか、とにかく世論から非難轟々で結果としてそのタレントはメディアから姿を消すこととなった。覚えてる人います…?

で、私はこの事件(今更だが「事件」と言っていいと思う)を知った時に、心底腹の冷えるような思いがした。女性芸人の人畜無害な内容のツイートにドカドカ土足で上がりこむような暴言をタレントが吐いているのを見て、純然たる人の「悪意」に触れたような気がしたと言うか、悪意を「悪意」とも思っていないような自然な立ち振る舞いで毒を吐くタレントの言動に、底冷えするような感覚を覚えた。多分、「引く」というのがこの感覚の名前なのだと思う。純粋にめちゃくちゃ引いた。

で、その一方で、この「引く」という感覚の裏側にどんな感情や思考が潜んでいるのだろうとも思った。心底腹の冷える目の前の状況に対して、自分が何を感じているのかを捕まえておきたい気がして、なんか自分でも気持ち悪いんだけどA4で2~3枚のレポートを一人で書いた。気持ち悪すぎるなエピソードとして。でも事実だから書いておく。特に見せる相手もいないんだけれども、読み手のフィードバックが欲しくなって夫にだけこっそり見せたら、紆余曲折あってそれを夫がツイッターにのせてしまい、ほんでそこそこプチバズをしまして、お前!!!!よそ様にこんな文章を見せてから!!!!すみませんすみません、でも自分の気持ちの分析用なのでご容赦くださいワハハ…という状況になった。信じられないと思うけど、実はここまで前振りです。信じられないね、私も信じられないんだけど、書き残しておきたいのはここからです。

んで、何が言いたいかというと、わたしの文章(を載せた夫のツイート)を見てくれた人が、口々に「言語化がうまい」とか「言語化してくれて嬉しい」とか言っておられるのですね。それ自体は別にいいんだけど(良いとか悪いとか私が言うようなことでもないんだけど)、何と言うか、そんなみんな言語化言語化いうものなのだなぁ…と漠然と感じた。自分自身も同じような経験はあるけれど、いざ数としてそれが現れてくると結構おぉ…となる。現象や感情を「言葉」として切り取りたい・切り取って欲しいと、人々は感じている…?もちろん色んなバイアスがかかっての今回のことだと思うから一般論化しにくいのは分かってるんだけど、とにかく、自分の考え方や感じ方を誰かに切り取って抜き出してもらうことを「気持ちいい」と感じる人が多いのだなと思った。それって、なんだろ。なんでそうしてほしい・したいんだろう。

 

同じような考え方をする「仲間」が近くにいるのは、たぶん心地いい…くて、それを知るには相手か自分かのどちらかが意見を示さないといけないから、そういう意味では誰かが言語化してくれるというのは労力面において経済的だね。あと、言いたかったけど上手く言葉にできなかったものを誰かに整理してもらうと、心の落としどころが見つかったような気がしてほっとする。SNSにおいては、多数の意見に乗っかっておくとマイノリティから批判が来ても何となくうやむやにできる、なんてのもあるかもしれない。インプ稼ぎの件は今回無視する。黙って指をくわえて見ておけお前らは。その他なにかあるかな、なんでだと思います?

いまのところ、この話に結論みたいなものは出ていない。出ていないと言うか、考えられるほど頭がクリアな状態で夜を迎えることがあまりないので(だいたい飲酒している)ちゃんと考えられていないと言う方が正しい。だけど、いつか感じていることを出力しておきたいと思ってたから、なんか今夜がそのタイミングだったっぽい。言語化、簡単な言葉だけど今の世の中のひとつのキーワードではある気がしている。もうすこし、もうすこし考えてみたい。そういう走り書きでした。ガハハ。

蜻蛉

拒絶された、あるいは音信不通になっても良いと思われた、そういう答え合わせをするのが怖くて連絡をとれずにいる人たちがいる。古くからの知り合いや友人として仲良くしてきた中で、彼らが音楽や写真やいろんなことで有名になったがゆえに(それは私にとってはどっちでもいいことなのだけど)、なんかこんなしょうもないことで連絡しにくいな……などと思ってしまって何となく距離のあいてしまった、なんかそういう人たち。気にしなければいいのだろうけど、大人なのでそうもいかず、うーんと考えて結局LINEを送れずにいる。

こういうの、くっそめんどくせぇなと思う。立場が振る舞いを規定してしまうと言うか、要は有名な人にそんな簡単に連絡したら迷惑になるのじゃないかと思う感覚。だってその人自身が好きだったんだもの。なのに立場が出来るとこっちが急に遠慮しちゃって、別にしなくてもいいのかもしれないけど、でもするよね!!!遠慮をさ!!!

そういうむにゃむにゃしたものを無視して連絡してもいいんだろうか、それともやっぱり遠慮した方がいいの?分からないけど。思い出すのは、いつか読んだ本に書いてあった認知症で施設暮らしをしている人のことで、「家に帰りたいと本人は言うけれど、帰りたいと思っているのは本人が一番いきがいを感じていた頃の、当時と同じままの家族がいる家」「今はもう家族の立場も環境も変わっているから、今おうちに帰っても、当時と同じような状況ではない」という言葉。きらきらした思い出を大事に生きている、みんなね。

スクロール

そんなに詳しい訳ではないが、それなりに音楽と触れ合ってきた人生であった。中学時代の吹奏楽部では部長としていそいそと練習にいそしみ、なぜだか大学時代のビッグバンド部でも部長をやることになってあれよあれよと全国大会ベスト8入賞、同時期にいわゆる「軽音」的なバンドのボーカルを務めさせてもらったりもした。ここだけ聞くとすごく花形と言うか、リア充っぽい空気が立ちあがってくるけれど、実際のところは娯楽と言えば酒を飲むことと古本の小説を買って読むことくらいで、本当に可愛らしい気持ちの悪い学生でした。ここまでは前振りだよ、みんなお姉さんについてきてね!

大人になってからもなんとなしに音楽を聴く生活は続いていて、例えば夏の早朝にサマージャムを聴きながら「そそのかされちま~う…」とつぶやいたり、ドライブに行こうものなら自分の好きな曲の中からとびきりお気に入りのやつをステレオでかけて、ヒュ~ッ!と思うなどもしていた。当時は今ほどAIも発達していなかったから、好きな音楽を見つけるには自分でどんどんディグっていくしかなくて、友達と夜中まで酒を飲みながらどのバンドがカッコいいと進言を受けるだとかCDを貸してやるだとか、そんなことで音楽への裾野を広げていたような気がする。

んで、最近である。昔ほど音楽は聴かなくなったものの、喫煙所でタバコを吸ったり少し遠くまで歩く必要があるときなんかにユーチューブミュージックを適当にかけながら過ごしているんだけど、あいつらはアルゴリズムに乗じて私の好きそうな音楽をガンガンにピックアップしてくるのですね。特にこちらが何か指示をしなくても「こんなん好きやろ?」とばかりにひっきりなしに曲をサジェストしてくる。音楽の回転寿司。待ってれば適当なネタが流れてくるので退屈はしないのだけれども、なんだか一人一人のアーティストへの意識レベルがグンと下がってしまって、「ひえええ音楽を消費している…」と感じる次第。もちろんその中には新しい出会いもあるんだけど、ほとんどの場合はそんなに気に留めずに聞き流してしまっている。友達と集まってアレがいいコレがいいと言いあう濃密な夜がちょっと遠のいていくような気がして、なんとも切なくなる自分がいる。

音楽に限らず、どういった現象でも一長一短はあるはずなので別に今の状況を批判する気は毛頭ないのだけど、好きななにかを誰かとたくさん語りたい気持ちがした。このバンドが好きなんだとか、それが好きならこれもおすすめだよとか、なんかそんな会話がしたくなった。特に結論はないのだけど、情報飽和社会、自分の「好き」を持ち続けることは案外難しいのかもしれないなぁ、なんて思いました。ちなみに今はEVISBEATSを聴いていました。

まだきっとまだ間に合う

いろいろと滞っている。清算せねばならないことがいくつか、うち先送りしているものもいくつか、別れと出会い、見えない先行きと選択せねばならないこと。いろいろある。

昔の写真を見ていた。大学生~社会人1年目くらいまでの。すごく懐かしくて、さみしくて、自分が立っているこの場所もいつか過去になるのだろうと思った。一刻一秒、今は過去になっているのだけれど、大きな流れの中でいつか今いるこの場所が過去になる時、自分は何をしているのだろうと思った。

茫漠たる時間の中で、今がずっと続くような気がする中で、自分はなにを選んでなにをしていくのだろう。ちょっと怖すぎん?今がずっと終わらないで欲しいような、そうでもないような、でもそのいつかが来たときに振り返れば、多分なんとかそれなりに生きていっているような、そんな気がしている。