大学生じゃあるまいし

風邪を引いた。おい、風邪を引いたぞ。しかも巷を騒がせている(いた?)コビッド19です。おいおいおい勘弁してください。知らないうちに、体の中に、いる。信じられない。大学時代、酔っ払った友達がフラッと寝床を求めて急に部屋に来る感じで、突然来た。おいお前、許可してないぞ。不法侵入・不法占拠だぞ。はやく……はやく自分ち帰ってよ……。

思えばと言うか、この1ヶ月程度いろいろ無理している自覚はあった。数ヶ月前から毎週土曜に学校へ通っているのでここんとこはずっと週休1日、その休みにドンピシャで産業カウンセラーの実技試験があったり現職場の異動に関する書類の準備をしたり、先週末は妹の結婚式で大阪に飛んだりしていた。そんな感じなので体力のバッファが常に「0」、あーーこれいつか体調崩すぞ……という不安はありました。でもだからって、よりによってコロナが急に来ることないじゃない。お酒は自分ちに帰れる程度にしときなさいって、日頃から言ってたじゃない。馬鹿。

かかってしまったものはもうどうにもならないので、隔離された部屋で仕方なく布団に転がっている。幸いにも夫と子供は今のところ元気、あー神様どうかこのまま乗り切らせてください。まだ熱は38℃前後あるし、腰も筋肉も痛いけど、1番キツい局面は超えたような気がしています。休みてぇ…休みてぇ…と思いながら数週間過ごしていたけど、図らずもこういう形でボヤッとできるとはね。でも許してないからなコビッドめ、せめて泊まっていった分の朝ごはん代くらいは置いて行きなさいよね。

たゆたう

年明け早々めでたいことに、友人に子どもが生まれた。先日の日記を読んでくださった方ならわかるかもしれないけれど、飲み会の集合時間に4人中3人が間に合わないかもしれないと言っていた中で、唯一時間通りに来たしっかり者の彼である。その彼に子供が生まれたらしい。齢35、「そういう時期」と言えばそうなのかもしれないけれど、彼からそんな連絡がきたことがなんだかすごく嬉しくなった。

彼と出会ったのは大学院に入ってから、その時付き合っていた彼氏の友達として何人かでご飯か何かに行ったのがきっかけだったように思う。生々しくてやーね。でも本当のことなので書いておく。んで、彼氏と別れてからなんだかんだあって連絡先を知ることとなり、関西に住んでいた頃はどちらからともなく誘い合って仕事帰りによく飲んでいた。

私が結婚してからは何となく疎遠になり、連絡をとることはほとんどなくなった。ただドイツに住んだ時や仙台に引っ越してきた時、そういう「要」みたいな時にはふらっと当時の彼女と一緒に私の住む地域に来てくれて、夫と4人で飲んでいた。めちゃくちゃ仲よくなるようなイベントがあった訳ではないし、だからすごく仲が良いという訳でもない。だけどなぜだか、ただ単にタイミングが合っただけなんだろうけど、年に数回連絡を取る程度の関係になって今日までやってきた。

そして昨日、である。「子供が生まれた」と言って彼からLINEがきた。言い方が悪いけれどその時は「ふーん」といった感じで特に感慨深いものもなく、ただおめでとうと返事をした。だけど今になって、特別仲が良い訳でも年に何回も会う訳でもない、そんな彼が、お子の誕生を私に教えてくれたことが急に嬉しくなった。我ながら嬉しみがくるの遅いよ。奥様は入院中のはずだから、もしかすると昨日は一人のお家で飲みながら、ふと私に伝えようと思ったのかもしれない。その「ふと」が、なんだかとても嬉しい。出産祝いを検索しながら、私もふとそんなことを思った。今でも私のことを旧姓で呼んで、その度ぎゅっと学生時代に戻ったような気になって、それもすごく心地よかったりするのでした。これからもこんな感じで、付かず離れずふわふわと仲良くできたらいいな。そんな友達が、これから先どれだけできるだろうか。そういう愚にもつかないことを考えながら今夜も飲んでいます。

雪が降ったらそれはもう最高

クリスマスですね。年の瀬となり、なんやかんやと忙しい中でも「あーそろそろ今年が終わるなー」という気持ちが知らず知らずの間に湧いてくる時期です。早すぎんか一年。こないだハッピーニューイヤー!!!って言ってませんでした?大丈夫?こわくない?いけてる皆???

今年は私が新しい資格に挑戦するために毎週末学校に行っているので、ずっっっと気になりつつも出せていなかったんです、クリスマスツリー。もう今年はいいかな…と思わなくもなかったけど、久しぶりの土曜の休み、いっちょ出してやっかと思って今日やっと引っ張り出しました。余命二日のツリー。諸行無常すぎやしませんかとツリーに恨まれているような気がしないでもありません。

話題は代わるけれども、我が夫はクリスマスが誕生日です。子供と私が同じ誕生日なので少なくとも2回はケーキチャンスを逃しており、我が家はかなり行事が少ないことになります。楽でいいけれども、ちょっと寂しくもあるね。そしてこの時期はサンタ業務と妻業務で忙しい時期でもある訳です。俺にもプレゼントくれよ。くれよ!!!

んでどうしてこの日記を書こうと思ったかと言うと、夫も子供も寝てしまった今、ツリーの足元にサンタからのプレゼントを配置したところ、それをじっと眺めながら飲酒をしていたんですけども、じわーーーーーっと子供の頃を思い出したからなんですね。そういえば自分が小さい頃も、クリスマスに合わせて両親がプレゼントを用意してくれていた。その時いちばん欲しかったものが、目が覚めるといつの間にか枕元にあって喜んだこと。包装紙をあけるワクワク感や欲しかったものが手に入った嬉しさ、そういうなんか無垢なものを何だかじわじわ思い出していました。子どもがサンタさんに用意したおやつをアテにお酒を飲みながら、懐かしいような喜ばしいような、なんかそんな気持ちが湧いてきて、これは記録しておかなきゃと思った。自分一人なら何でもない12月23日、それが何でもなくなっていることに気が付いてくすぐったくなった。おやつ美味しかったよとサンタからの手紙をプレゼントに添えて、これを見つけた時のわが子の反応を想像してこちらもワクワクする、からっぽになったおやつのお皿を見つめながら、なんかそんな循環があるように思いました。

こういうことがあると胸のうちにSNS向きのしゃらくさい文言が湧いてくるのだけど、そういうのは好きじゃないから全部秘密にして寝ようと思います。大事な人と過ごすクリスマスも、一人で仕事をするただの一日も、すべての誰かに素敵な事がおこりますように。あと私は誰かからプレゼントをもらえますように。それは何だっていい、使い道のないようなキャンドルでも好きじゃない香りのする石鹸でも。みんながみんな幸せになーーーーれ。メリークリスマス!

短い夜

先日の飲み会についてまた書いてみるのだけど、とある日、北は仙台・南は岡山から人々(4人)が集結して京都タワーにある居酒屋へ向かうことになっていた。当日朝、飛行機から降りて駅へ向かうシャトルバスの中で友人に「そろそろつくよ」的な連絡を入れると、「僕は〇時に駅につくよ」「なんか すごい…速い?よくわかんないけど すごい速いやつに乗ってる」「走ってると短い夜みたいな時間がある」とのこと。詩的。あ、新幹線知らない人だ、と懐かしいノリに興じて「たぶんお金を入れたら飲み物が出てくる光る箱もあると思う」と返信すると「それは自動販売機だろ」「馬鹿にしないで欲しい」。それは知ってるんだ。なんやねんその挨拶。

さて無事に京都駅に降り立ったところでスマホが震えた。上司からの電話だ…。嫌すぎる。無視しようかと1秒くらい考えたけど仕方なく出ることにした。イヤホンで会話しながら先ほどの友人に「少し遅れる」と連絡を入れると、「駅の出口を間違えた」「××も遅れるらしい」とのこと。しっかり者の残る一人に何かあれば全員遅刻するかもしれない。目的地は京都タワーなのに。駅から見えてるとこなのに。ウケるね。

私は電話をしてたので知らないけれど、連絡を取っていた友人としっかり者の友人は無事に合流して店内に入れたようで、お店に迷惑をかける事態は何とか避けられたぽかった。本当に良かったよ!!!!!!上司との話を終えて急いでお店に向かうと、入り口の前に先ほど遅刻するかもと言われていた××がいる。遠目から見ても分かる感じで立ちつくしていたから(何してんだ…?)とちょっと笑った。どうしたのかと問うと「お店の人に聞いてみたら…予約入ってないって言うから…」。どうやら誤った予約名を店員さんに伝えたために、誰とも合流できずに茫然としていたようだった。なんで誰にも連絡をとらないの???なんで???という思いは消えなかったけれど、いやまぁこういう不器用な人だったなと思い出してまた笑った。いいよいいよ一緒に行こうね。ちゃんと入れるからね。お店の人に正しい名前を伝えたら、やっぱりちゃんと入れた。

全員が合流してやっと乾杯して、結局3軒はしごした。びっくりするくらい楽しかった。飲み会が始まるまでのことをこうしてつらつら書いたのは、なんて言うか、こういう些細な出来事が私にとってのハイライトで、よく遊んだ当時との変わらなさがすごく居心地よかったからだと思う。あと飲みすぎて途中からあんまり記憶がないのもありますワハハ。でもそのくらい良い会だった。こういう何か"目印”みたいなものをたくさん作って生きていけたらいいなぁと思う。仕事でミスをした自己嫌悪も、日々の家事や育児にフラフラになって「誰か助けてくれ!」と思う夜も、喧嘩をして苛立つ感情も、全部しあわせなことだけれど、手放しで無責任にガハハと笑って過ごす時間が、そういう真っ暗な瞬間を薄めて昇華してくれるようにも思えた。人は誰かと間違いなく関わって生きていて、大人になるほどその関わりが色んなことを縛ってくるけれど、たまには無責任に"ただの人”になったっていいよね。そうしてニコニコして、また戦闘の日々に戻っていくんだから。俺たち大人はそうやって生きてんだぜ、頑張って生きてこうぜ。

トンツートン

今月の半ば、大学時代の友人と飲む機会があった。誰の得にもならない情報だけれど、正確に言えば中学生の頃にインターネットを通じて知り合った人と大学時代に初めて会って、その縁で彼の仲間たちとも今も仲良くさせてもらっている、そういうふうにしてできたコミュニティの飲み会である。私以外は全員同じ大学で同じ部活、私にとっては完全にアウェーだけれども、結論から言うとめちゃくちゃに楽しかった。飲んだうちの一人が飲み会の翌日に当該メンバーを招待してLINEグループを作るくらいはしゃいでいたので、たぶん彼らも楽しかったのだと思う。

そして今、である。その時の楽しかった記憶や会話を思い出し、あたためては日々を過ごしている私がいる。本当にめちゃくちゃ楽しかった。この日記は「飲み会がすごく楽しかったです!!!!」というだけの日記で、それ以外に言いたいことは特にない。信じられるか?それを言いたいがためにすでに400文字くらい消費しています。ハッハッハ。

話題は代わるけれども、この1年くらいで3つ"試験"と言われるようなものを受けまして、ほんでビックリすることに全てに滑っている。ウケるね、メチャクチャ落ちるやん。そのたびに相応に落ち込んでは、バカヤロウこんな泥みたいな時間に人生を使ってられっかという思いで暗闇から立ち上がり、また日常に戻ることを繰り返しています。これは自分のメンタルが強い訳ではなく、単に物事を深く考えられない短絡性の成せる技で、でもその単純さに我ながら救われてもいる。それなりに目標みたいなものがあって、「できるまでやればできる!!」というハイキュー!!で見た金言を胸に、基本的にはぱっぱらぱと過ごしている。やりたいこと全部やらなきゃ嘘だからな。環境がそうさせない、そうできない場面はあったとしても、許される限りでやりたいことやってかなきゃなと思っているのである。いいから酒飲みながら一緒に座ろうや。

でも、それでもふと、滑った全てのことに対して気持ちが沈む瞬間がある。実際なににせよ落ちるということはきちぃ。それらをばーーーか!!!という具合で蹴っ飛ばして乗り切る、そういうタフネスはあるっぽい。

話は冒頭に戻るけれども、こういう沼にはまりそうな時に引っ張り出してくるのが冒頭で触れたような楽しい記憶、あるいは揺るがない誰かの存在で、「あー私はここでつまずいたけれども、基本的には死ななそうだし想って想われる誰かもいる、食べ物を買うお金もある訳だし落ちたのとか無傷無傷!」と思う。そして実際無傷。失ったものが何もないので。傷ついたと思う時に人は傷つくのだから(それはもちろん決して悪いことではない)、そう思わないうちは無傷。そして今、私はちょっと傷ついているけれども全然リカバリ可能なのでほぼ無傷。そういう自分へ向けた応援歌みたいな日記もである。

話は冒頭に戻るけれども、友人たちと集まって飲むお酒はとてもおいしくて、その後に行ったカラオケは信じられないくらいたくさん笑った。そうやってきらきらする何か"核"みたいなものに、できるだけたくさん気が付けますように。酔っぱらいの一人語りはここまで、みんなはよ寝ぇや。

ともしび

唐突なんですけれども、ひょんなことからご縁をいただいて今日とある大学で突然授業をぶち上げてきました。大学で働く友人が「心理学とキャリアについて話してくれない?」と声をかけてくれたのがきっかけで、私なんぞ人前でお話しできるようなものは何も持ち合わせてございません…と思ったんだけど、せっかくそう言っていただけるなら全力でがんばります!!ということで、遠路はるばる東北から関西へ飛行機にのってやってきたのでした。

きょうの為にうんうん悩んで修士論文の発表以来さわっていなかったパワーポイントを引っ張り出し、どんな話なら学生さんのお役にたてるだろうかと考えました。前々から思ってたけど、教育者のみなさまは本当に尊い仕事をしておられるよ。日本の未来を育てていると言っても全然過言じゃない。過酷な労働環境の中で、本当に日々ありがとうございます。

授業そのものは緊張もあってあっという間で、でも自分なりに必死に考えてできたと思う。講演パート、10回くらいぶっ通しで練習したもの。そしたらそれに呼応してくれるように、授業が終わってから何人かの学生さんが個人的に話をしにきてくれたりもした。その中には将来の話も含まれていて「ちょっとそれは現実的ではないんじゃないかい…」と思うこともない訳ではなかったけれど、なんというか、その初期衝動って持とうと思って持てるものではないから是非だいじにしてくれよなとも思った。思ったというか願った。そういう灯みたいなものを持ってるが故に傷ついたり挫折したりするかもしれないけど、「こうなりたい、こうしたい」を持っていることは信じられないくらいすごい強みだから。大人になるとなかなか理想像や将来の夢みたいなものを持ちにくくなるけど、心理学に触れて未来を見つけて、それってどちゃくそ素敵なことやん。だからその気持ちを、想いを、どうか持ち続けてくれたら嬉しい。そういう祈りにも似た気持ちになった。現実なんてほっといても向こうからやってくるんだから、酒飲んで麻雀して無為に過ごす時間も、勉強して自分を見つけようとする時間も、全部だいじにしてください。「流れ」の中にいるときはなかなかその時間の価値に気が付かないけれど、気が付かなくたっていいから、どうか謳歌してほしい。あなたのその時間は無限ではないから。パートおばあちゃんは、そう願うよ。

前々から思っていたけれど、やっぱり私はいつか教育の世界に戻りたいと強く思う今日でした。このバイブスみたいな、心の動く感情は書き留めておかねばならないと思って、慌ててPCに向かったのでした。学生に散々えらそうなこと言ったのだから、頼むよ自分。自分の照らし方くらい自分で演出してみせてくれよな。

海の見える窓辺から

齢を重ねた時に好きな場所に住めるなら、坂のある海辺の街がいい。坂は街の表情を作る、と夫が言っていたのを聞いて、素直にめちゃくちゃ納得したからである。海については昔行ったポルトガルリスボンの景色が脳や目に焼き付いていて、あれは現地の雰囲気もあるのだけど、なんでも包んでくれるような、どんな投影も受け入れてくれるような包容力があるからである。

ポルトガルにはいろんな縁があって3回くらい行ったことがあるのだけど、何故だかなんとも言い表すことの出来ない郷愁のようなものを感じる街である。ヨーロッパだから地震も起きないだろう。カラオケもボーリングもゲーセンもポピュラーではない国だけれど、だからこそ人々は誰かとの語らいや自分だけの時間を楽しんでいるように見えた。そこには物質では替えのきかない、何か濃密なものがあるように思えた。シェリー酒を飲んで夫や家族と話す時間が、普段より特別だった。

話を戻す。歳をとって住むなら、海がよく見える小高いところに居を構えたい。日本なら長崎がいいな。できれば家族が近くに居ると最高だけど、叶わないならしょうもない話ができるジジババ友達がいるといい。そして少しお酒を飲める程度に健康な時間が、できるだけ長く続きますように。最期は花と眠らせてくれたら尚いいな、という独り言。